2011年6月24日金曜日

「宮古島 祈りの旅 神と出会うまで」 最終章 


明けて最終日、この日は午後に新城邸を再訪した後、皆其々の旅程で帰途に就く。

宮古島での最後を楽しみ、去年伺った、新城邸近くのヒーリングショップ・「ウルル」さんにでも立寄ろう等と気楽な気持ちで居た。


石庭に到着、先ずは太陽のサークルへ。

吉岡さんが、大の字に寝っ転がる。

勉強会で瞑想の話題になった時、「一人でする瞑想より、大の字に寝て、腹式呼吸する方が安全で良いよ」と教わっていた。

神聖意識と繋がるにはリラックスする事が最も重要だと多くの方から聞いている。・・・しかし、本当にリラックスし思考に捉われない状態になるのは実に難しい。

私も真似て寝っ転がる。 心地よい。

暫くの後、瞑想の姿勢に座り直す。

ふっと気付くと深い状態に入っていた。・・・言葉では表現できないが、この石庭にはここ特有の不思議な音とリズムがあり必ずそれが聴こえる。

この手記は、同行した妻と確認作業をしながら書き進め、投稿前には必ず妻に見てもらい、意見を聞いて投稿している。

石庭に関して妻が、「ここは男性が強く啓示を受ける場所だと思う」と云った。

同感である。母の胎内の様な場所かも知れない。

妻は、「女性には元々あるものがここにはあるので女性は特にこの場所で強くエネルギーを感じる事は無いのではないか?」・・・と。

妻は石庭の中では「月のサークル」に強いエネルギーを感じるそうだ、私は逆にあまり感じない。個体差、性差で感じ方は色々なのだろう。

場所との響き合いにしてもそうだが、誰もが宮古島を聖地だと感じる訳ではないだろう。そこには私にとっての「魂の起源」的な繋がりがあるのだと思う。

ある人にはそれがインドであったり、イスラエルであったり、または東京だったりするかも知れない。


・・・ここで必ず聴こえる音、リズムの心地よさは胎内で羊水に浸かる胎児の記憶だと思った。


瞑想中の私は、前日と同じ長~い一本道を見る。言葉としてでは無いが「歩いて来い!」と促される。感覚に従い彼方に見える出口を目指す。

行けども行けどももっともっとと促される。・・・「これはついに真理を見せて下さるのか!」と期待し、ぐんぐん登って行く。とうとう登りきって最後の気力を振り絞り、期待した真理に飛び込んだ・・・。

なんにも無い! 

そこは、何処までも真っ白に、「カーン」と広がる空間だった。

それでもまだ何かあるのではないかと、中空に浮かびキョロキョロと周りを見渡したが矢張り何も無かった。

怖いようで、心地よい。・・・空とはこの事なのだろうか?


な~んだって感じで姿勢を崩し、再び仰向けに寝っ転がる。あまりに日差しが強いので、ハンカチを顔に掛ける。

暫くすると、ハンカチが風にさらわれる。

風なのだが、人に外されたような妙な感じがした。

意思を持ってそうする為に吹いた風の様であった。

ハンカチを掛け直す事も無くその状態で身を任せていると、突如、黄金色にまばゆく輝きどこまでも無限に広がる大光明が現れる。

それは、円形の曼陀羅が細かく細かく細分化された様な極めて美しい幾何学模様で、中心から外に向かって細かな模様の一つ一つが煌めきながら、「ゴーっ」と云う音と共に緩やかに流動している。 (言葉での表現は無理です)

ありとあらゆる全てがそこに在り、一元の絶対的な秩序を感じる。

人間(私?)の知覚的な限界で、映像としては平面で見えるが、本当は全方向に際限無く広がっている光そのものだと感じている。

そしてまた、強い確信を伴い、それが「天照大御神様」であると云う理解が降りた。


続いて、また瞑想の形に姿勢を正す。天照大御神様をお呼びするが、現れたのは白く巨大な石造彫刻の様なもので、真ん中に御顔がある。

例えは悪いが「マジンガーZ」の様な顔だ。

とにかく巨大で全体を見る事は出来なかった。

白く厳然としてあり、この世にあったら最高の芸術であろう美の塊である。

それは幾何的な天照大御神様に対し、とても具象的。

「地球神・白龍様」だとの理解が降りる。

そして、天照大御神様と白龍様は相対で働くと云う啓示を受けた。

私が見たものを名前として其々呼称で呼んだが、私の中にイメージとしてあったものではない。

其々の姿について「こう云うものだ」と聞いたことも無かったし、その時それらとの出会いを求めたものでもない。

思考が創造した妄想ではないのだ。

特に、白龍様は「龍」と云う様な形では無かったので、後日吉岡さんに確認すると、認証された。


もし 呼称に抵抗があれば、光源、大光明、大日輪、高次のエネルギー体等々、何でも良い。

呼称については知識が反映された可能性はある。

ただ、「天照大御神」「白龍」と呼ばれる、何か共通認識の様なものがあるようである。・・・私にとっては不意打ちだ。

イメージで見たものでは無かったが、これは私が見たもので、見え方、出会い方、感じ方は人それぞれ違うかも知れない。

そして、「見えた」と云う事だけをもって出会えたと云う事でもないだろう。

また、誤解無き様お伝えするに、リーダーの吉岡氏が宗教的概念でそれらを崇め奉る様指図した事は無い。

更に、「神」と云う事では、仏教やキリスト教、それらに準ずる様々な信仰の神々。

氏神様やあらゆる神社の神様。

東照大権現や藤原道真等の人格神。

守護霊、守護神、御先祖様と云う神。

また、エネルギー体としての自然神、地球神、宇宙神。

真理、法則、絶対、愛等の意味に於ける神等々、どんな神の事でも自由に語る。

御本人は「神」と云う誤解を招きやすい言葉は本当は使いたく無いらしい。

そのスタンスは私も同じである。

今回の御神事や、勉強会に参加するメンバーたちも平時は一般の社会人であり、我々が何か共通の信仰、思想、信念等で結びついている訳ではない。

全くの自由。 個人的に特定の宗教に属している者も居るだろう。

私自身も吉岡さんに限らず、霊能者や、精神世界の様々な先輩方と広範に交流している。

ちなみに、20代前半に一度だけ仏教系の新興宗教に属した事があるが、それは中に入ってみないと見えないものがあると思ったのが第一の理由で、教義等にはあまり共感はしていなかった。

以来、特定の宗教的組織に属した事は無いが、そう云ったものに属している人が居てもそれはそれで良いと思うし、本物もあるだろう。

否定が嫌いなので興味を持った事には躊躇なく飛び込むが、常に冷静なもう一人の自分が居て、盲信する様な事は決してない。

怖がって拒否し、知らないのに否定する事の方が罪だと思っている。


吉岡氏は、カリスマ的ではあるが、決して中心に座る事は無い。

中心に座っていたら交わらなかったであろう。


だから、一つの狭い方向性や教義。特定の神などを示し、「そこへ向かえ!」と云ったような事は一切しない。

常に我々と横並びに位置し、あらゆる自由の容認の中、単に其々の気付きを促してくれているだけである。

勉強会でも話す内容はいつも違う。


この手記も、私の信じる事にいざなおうとか、吉岡氏と結び付けようとか云った意図は一切無い。

体験を公表した事は、それを自慢したいとか云う事では無く、それにより見る世界が広がれば良いと思ったのである。

現に、体験があったと云うだけで、人間としての「私」が何か特別な能力を持った訳ではない。

ただ、意識の変化は大きかった。体験に「愛」とか「調和」とか云ったものを感じたからである。

私はこれまで、人に対して「愛している」と云う言葉を云った事が無い。愛が解らなかったからだ。恋愛をしてもせいぜい「好き」止まりである。

しかし、この旅を終え、始めて人に対して「愛してる」と云えた。誰かにそれを云うことは、自分を愛している事だし全てを愛している事である。

愛とは部分では無く全体なのだ。個が好き嫌いを感じる事とは別の話である。好き嫌いなど誰にでもある。

自他の欠点や、個別の感情、善も悪も全てを内包(許し)しているのが愛だと思う。

断片(部分)に捉われなければ調和=愛である。


「アセンション」と云う言葉も終末思想の様に恐怖を煽る様な意味で使ったのでは無い。

私にとっては単純に素直になる事、楽しく生きる事。

自然への感謝とか、地球と云う大きな生命体を我欲で傷つけない事。

思考で限定した小さな自己が排他的に争わない事。

心の捉われを一つずつ外し、高い次元の意識での存在を心がける事。

・・・等々を意識。そして愛や調和を実感する事等だと思っている。


災害や戦争、環境破壊や心身の不調和を自ら望む者はそう多くは無いと思う。

私はそれらを、心の向きを決める「言葉」を駆使し、何があっても明るく捉えるよう心掛けている。


環境問題や原発、精神世界の事等を、それらに最も強く関心があった20代の頃は語り合える人も少なく、政治やマスコミの世界ではタブーでさえあった。

しかし、今はそうではない。それも次元上昇と云う事である。

今を厳しく見つめ直し、明るい未来を希求する高い意識が増えて行く事で、いつの間にか普遍的な規範になっているものなのだ。それを集合意識と呼んだ。

政治や経済の事は解らないが、人間其々が得意分野や役割、立場のなかで出来る事をすればいいのだと思う。

私も、男として、夫として、陶芸家として、陶芸講師として、出来る事をして行きます。

ありがとうございました。


この一ヶ月、何度も徹夜し、このブログでの投稿に多くの時間を割いてきましたが、これでまた本業に戻り、自分のすべき「移転計画の完成」に精力を注いで行きます。

そして、一日も早く、多くの方々と、楽しく豊かな時間を過ごせる空間造りをいたします。

言葉の誤用や、上手く伝えられなかったことも多々あるとは思いますが、大好きな友人、仲間達が居るからこそやる気になり、やり抜けました。

皆様いつも支えて下さり本当に感謝いたします。

長い連載にお付き合い下さりありがとうございました。


旅は、吉岡さんや数名のメンバーと別れた後、池間島へ向かい展望塔から大神島に御挨拶。



漲水御嶽(はりみずうたき)へ向かう途中・・・。


 

漲水御嶽は宮古島最高の御嶽とされ、一般人の参拝も認められている。

宮古島への入退島時に御挨拶の祈りをするのが習わしである。



すぐ上の高台に建つ宮古神社へも御挨拶。

ありがとうございました。



飛行機ではみな別々にチケットを取ったのに、前と横がメンバーで、近くにはテレビでも有名なユタさんも乗っていた。



最高の旅をありがとうございました!!!


※必要があれば文章や写真の転載、転用などご自由にされて下さい。

2011年6月19日日曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 11

大神島を後に、新城定吉翁の石庭へ向かう。

途中、素敵なレストランで昼食。


テーブルとなっている大きな岩に、サキュレント?が芽を出している。



お薦めのカレーライス。

ライスで宮古島を、揚げ物で島々が表わされている。

左下から時計回りに、来間島、伊良部・下地島、池間島、大神島。

大盛りだったか、スペシャルだったかにだけ大神島が付いてくる。


新城定吉邸に到着。

(今回こちらの写真を殆ど撮っていなかったので、前回、秋に伺った際の写真を転用いたします。また、文章に於いてもその時のブログのものを反映させて頂きます。・・・沖縄紀行 11


ここは、大正10年生まれの新城定吉氏が、天啓に導かれるまま、人間一人が人力でそれをするのは到底不可能とも思える巨岩(サンゴの化石)を幾つも掘り起こし、また、地中深く穴を掘るなどの作業を続けた結果、極限状態で様々な啓示を受けながら不可能を可能とし具現した場所である。



元々新城家の庭であったこの地に、明治30年頃、天上界より御降臨された、「天神様」の啓示により、拝所(うがんじょ)が定められた御嶽であったと云う。

その後、本島への移転により、誰からも拝礼される事が無くなり、廃れてしまったものを、定吉翁が再興した。

「石庭」と呼ばれているが、庭を造ると云う目的で造られたものではなく(私の解釈ですが・・・)、ただ、導かれるままに巨岩を掘り起こし、あるべき位置に設置されているもので、必然の結果として生まれた、ある種、完璧な形である。ただ、庭と云うものは本来的に、「神の依り代」の意味があるらしい。

芸術は、常に自然(アニミズム的には、神である)を師とし、近付こうとするが、近付けても、決してそれを超える事は無い。近付けた度合いが芸術の真価の基準だとも云えるだろう。

そして、この形には、極限までそれに近付き、同等に響きあった調和を感じる。

前回、単独で訪れた際も、敏感とは云い難い我々夫婦が、そのエネルギーに圧倒され、身体が火照り、意識が高揚した。

今回は、様々な御神事や、神秘体験で意識が開いている上、同じように意識を高めあっている仲間との同行による相乗効果。また、吉岡さんがこの場に居る事での更なるエネルギーの放出があるため、前回とは、比べ物にならない強烈なエネルギーを感じる。

3000坪の広大な敷地内に、巨岩で囲まれた幾つものサークルがある。其々のサークルでエネルギーの質が違うらしい。


先ずは、「太陽のサークル」で瞑想する。

前回訪れた時は季節の所為か蚊が多く、瞑想どころではなかったが、今回はまだ発生前でゆっくりと座る事が出来た。

すぐに深い状態になり漂うように座っていると、目の前に上方へ長く続く白い一本道が現れた。(これははっきりと映像で見えた)

「門が開く」と云うメッセージを受け取った。

メッセージと云うのは、文字が見えるとか、声として聞こえる訳では無く、瞬間に強い確信と共に言葉が降りて来る様な感じだ。「想うよりも先に言葉があった」・・・と云った感じか?


続いて他のサークルを回りながら、途中の「宇宙電波塔」と名付けられたガジュマルの木へ。

二つある木のうろに両手を入れエネルギーを感じるものらしい。吉岡さんが事前の説明で、「そこに手を入れると抜けなくなる」 と冗談で笑わせてくれた木である。


手を入れてみる。・・・途端、全身にもの凄いエネルギーが突き抜け身体が波打つ。

過去体験した事の無い強烈な体験だ。特に会陰の辺りがぐるんぐるんと暴れていて、足はふらつき立っているのがやっとな程・・・。

うろに入れた手に力を込め、必死でしがみついていた。エネルギーを感じるとか云うあいまいなものではなく強烈に身体が反応している。

そして何故か名前を名乗り、頂いた鏡のお役目を全うして行く事を宣言していた。

身体が落ち着きそっと手を抜いた。・・・茫然自失!


ボーっとしたまま、その先の「地球のサークル」へ。そこは最強のエネルギーの場だと云う。

正座をして祈ろうとする。・・・確かに下から突き上げて来る様なジンジンとしたエネルギーと、上からのギラギラした強いエネルギーを感じる。

そして、頭を下げ、自然にこう宣言していた。「私は何者でもありません、頂いたお役目で光を反射いたします・・・」



宇宙電波塔の上に吸い上げられる強烈なエネルギーは、与えられた働きを神にさせて頂くため、私の名前(自我)を抜かれる力だったのだと理解した。祈りは人間としての「私」ではなく、神に使って頂き、神として祈るのだ。


後に理解した事だが、神と一体である、自分も神であると云う自覚。また、神として働くと云う事は、最も謙虚に自分を神に捧げた姿だと思う。

その後、掘り出された沢山の石が置かれた新城さんの部屋でお話を聞くが、圧倒的なエネルギーでまたもトランス状態になる。姿勢を崩さぬようそこに居るのが精一杯。話も全く頭に入らなかった。


翌日、またここを再訪するのだが・・・。


2011年6月12日日曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 10


島尻港より船で15分。

大神島に上陸だ。

後から思うと上陸前から既に御神事モードになっていたようで、終わった後の写真しか残っていなかった。


いよいよ御神事が始まる。

先ずは港近くの竜宮神に御挨拶の祈り。


ここで、男神の役で立つ。祈りが始まるや否や、知覚、思考、意識の感覚ががらりと変わる。

祈りに集中し、祈りと一体となり、祈りが見える。

自分の役目、すべき事が誰にも何も聞いてないのに全て分かり勝手に体が動く。・・・神に使って頂いている状態だ。

そして、自分には光を反射させる鏡(照明係り)と、時たま入り込んで来る邪気を抜く掃除係りの役目がある事が分かった。

チームの中での単なる役目なのだ。

祈りの途中、鏡の役目として、我々が祈る先に光を送る必要性を強く感じ、祈りの形を勝手に変える。

それまでの御神事では吉岡さんや、巫女さん達にならい、頭を下げ、両手のひらを天に向かって差し出す祈り方をしていたのだが、その時はその時の自分の役目として違う形を取るべき事が明確に分かる。

これまでの御神事で、祈り方や作法について全く言及されていないため、自分だけ違う事をするためらいが一瞬頭をよぎるが確信がそれを上回った。

祈りの先に大きく腕を伸ばし、手のひらを思いっきり広げて光を送る。


終了直後、確信はあるのだが何しろ初めての体験なので吉岡さんに確認を取る。

「吉岡さん、今ので合ってますか?!」・・・振り向きもせずに大きくうなずかれる。・・・良し!!!

後に宿舎でのミーティング中、この時の事を吉岡さんから聞いた。・・・「あの時祈っていると、神様に、もう一人の男に手を挙げさせろって云われたからチラッと勝っちゃんを見たんだ。そしたら大きく手を挙げてたんだよな~!」


続いて島の頂上「遠見台」での天岩戸陰陽神事に向かう。

木製の階段を登って行く。吉岡さんのすぐ後についていた私は吉岡さんにまとわりつく邪気を必死で外していた。

するとまた振り向きもせず、「勝っちゃん、俺は良いから後ろをやってやれ!」・・・う~んこれも合ってたんだ・・・「ハイ!」。 ちなみに吉岡さんは途中一度も私の事を見ていない。

この旅で得た役割の一つである「邪気を抜く仕事」は、左から入ってくる邪気をセンサーとなっている右肩で感知。それを右手から放出すると云うものである。何故か知らないが知らぬ間に出来るようになっていた。

それぞれの邪気の正体が霊能者のように解る訳ではないが、この地には姥捨ての過去があったりするので浮遊するマイナス想念も多いのかも知れない。


そしていよいよ遠見台での御神事だ。

祈りの向きに男神・吉岡さんが座り、その傍らに宮古島在住の神巫女であり宮古・天照番の巫女。その二人に背を向けて妻が入口の巫女、私が陽の男神として立つ(姿勢ではありません)。そして6人の巫女たちが其々の役を果たす。


祈りが始まる。

天に向かって大きく手を広げる妻が宇宙神の御一団をお通しする。次いで依り代となっている私が通りを良くするため精一杯邪を払い後ろの男神に通す。

(・・・こう書くと、其々に時間差があるようだが、私の感覚では全ての事が同時に起こっている様に感じる。)


神様の御一団は心の映像でもはっきり見える。右上空から薄いブルーの大きな雲の様な塊としてこちらへ向かってくる。通りの良いものと通りにくいものがあり其々に対応する。

その映像は、妻も全く同じものを見ていた事を後で知った。

暫くすると終りに近づいたのが分かる。全身全霊を使わされへとへとになっているので、漸く終わりかと安堵したのもつかの間、第二段の御一行が訪れる。


第二段をお通ししている最中、巫女の一人が唸りだす。何かが憑ったのだろうか?、それを通そうとするのだがいくらやっても通らない。

限界を感じて後ろの吉岡さんに、「これ誰なんですかっ?」と尋ねる。

祈りに集中していた吉岡さんがピクン!と反応。低い声で、「後で云う!」とだけ答える。

尚も通らないままなので更に、「これも僕がやるんですか?」・・・と聞くが無言。

後で、「俺、御神事で話しかけられたの始めてだよ~」と云われ、笑い話になったが、とにかく必死だったのだ。


暫くするとそれも通ったのか終息に向かう。完全にお通ししたのが分かると、向きを変え、祈りの方向へ手を広げる。照明係りだ。

ほどなく終了。

・・・疲れた、御神事と云うものがこんなに大変なものだとは知らなかった。その場に座り込んだ。


祈り人は年中こんなことをして下さっているんだと思うと頭が下がる。吉岡さんが「命懸け」と云うのも納得だ。ありがとうございます。


この祈りは、男神を二人立てた事、入口を夫婦ペアで行った事として前代未聞だそうだ。


これでここの天岩戸が開かれた。

今何故、天岩戸開きやその他の御神事が必要かと云えば、地球の次元上昇の一大転換期だからである。

個人レベルでも皆其々が意識を上げなければならないし、土地や場所、空間レベルでもエネルギーの調整が必要なのだ。

集合無意識と繋がっている神意識へのアプローチがされると、三次元的にも様々な変化が起こる。その事のお陰だと分からなくても、気付きや学び、愛や調和の実感等、人間個人個人に影響を及ぼす。

事実、特に震災後、自分の何かが変わったと実感している人は多い。

自分が変わらなければ何も変わらない、輝く未来も、輝く今も、自分の中の今そこにある。

遠見台から



疲れ果て立てない


2011年6月11日土曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 9


砂山ビーチでの不思議な感覚を引きずったまま、大神島へ向かう。

大神島は宮古島の北部、島尻の対岸にある小さな島で、人口約50人。島のいたるところに琉球信仰の神聖な御嶽があり、部外者や、男子の立ち入り、また、写真撮影も固く禁じられている場所がある。

その島の、石ころ一つ、葉っぱ一枚島外へ持ち出してはならないと云うほど場の波動が高い。

先祖崇拝である琉球信仰の聖地であると共に、宇宙神、地球神の鎮座する畏れ多き神の島である。


ここで執り行われたのが「天岩戸陰陽神事」・・・天岩戸開きである。

天岩戸開きと云うのはその名の通り、閉じられ、働きを封じられた天照大御神様を表に出す事だ。日本の各所で様々な方々がそれに類する御神事をされている。

神の世界の話としてはあまりに現実的な説明に思われる方も多いかも知れないが、閉ざされた門を開けるには鍵がいる。

伝統的な御神事は御神事そのものが鍵なのであろう。

他界された、前春日大社宮司の葉室賴昭氏も御神事について、「意味は分からなくても伝承された作法を厳格に踏襲、再現することで神が現れる」と仰っている。

吉岡氏は、お役目として、生まれながらに全ての裏の鍵を持っている。実際に鍵を開けての御神事を目の当たりにしている同行者としてはそれを疑う余地は無い。


我々と時期を同じくして宮古島を訪れていた別の祈り人二人が、前日にここの天岩戸の表の鍵を開けていた。

居酒屋で会ったその二人に吉岡さんが後の事を託された。そう、裏の鍵を開けるのだ。

表と裏、陰と陽、両方の鍵を開けなければ本当の天岩戸開きにはならないと云う。三次元は相対の世界である。


この島の二つの門を開け、地球神と共に、前日の八重干瀬の宇宙神を繋ぎ、そして、天照大御神を繋ぐ。

天岩戸開きなどたやすく出来るものではないのだが・・・。

宮古島の北の端、池間島から望む大神島

2011年6月9日木曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 8


明けて19日。

その日は大神島での「天岩戸陰陽神事(天岩戸開き)」。

続いて、世界で唯一、地球の内奥から突き上げる、上昇エネルギーのパワースポット、「新城定吉翁の石庭」への訪問がある。


この旅で、意識が開かぬ苛立ちと、御神事でのお役目が迫る焦りのため、朝からお酒を飲んでしまう。

私は酒好きだが普段昼間に飲む事は無い。

この日も朝から口にするが、緊張が上回っているのだろう、全く酔わない。

その後、「酒を飲まないと出来なくなるぞ」、とたしなめられ飲まなくなった。


朝食後、少しだけ空いた時間に近くのビーチへ連れて行ってくれた。



宮古島で一番綺麗と云われる、「砂山ビーチ」だ。

宮古島は川が無いため、水が海に流れ込まず何処も綺麗なのだがここもまた格別である。


ふと後ろを振り返る。・・・浜辺の高台で吉岡さんが瞑想をしていた。

その姿を眺めていると、「この前に座れ!」と手招きされ、私も吉岡さんの2メートル程前に座ってみる。

さざなみと、そよ風、温かい朝の陽ざしに身を任せていると吉岡さんが神言葉の不思議な唄を口ずさむ。

その時空間と一体になっていた私は、気付くと自他の境界が何も無く、宇宙空間に漂うようにそこにあった。

そして吉岡さんの唄が自分の中で聴こえる。・・・不思議な感覚だ。全ての事が自分の中にある。

そよ風や、さざなみや、唄と云う音も。光も、景色も。香りも、人や小鳥の存在感も。全てが自分の中にあるのだ。

そこは、優しく、温かく、全てが調和し、愛に満ち溢れている。

無境界!それは、愛の意味、神の意味の一つであろう。




祈らずにはいられない・・・!

2011年6月6日月曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 7

・ 
八重干瀬を後に今日からの宿泊先である宮古島市内のコンドミニアムへ。

素敵な家を丸ごと貸切である。


夕方は書店での吉岡さんの講演会。

地元の方々が熱心に傾聴。ちょっとした個人カウンセリングもあった。


夜は、吉岡さんの知人が経営する居酒屋で宴会。


宿舎に戻り、更に夜の勉強会。

その時間はお酒も入り、リラックスモードで雑談をする。
開放度が上がる分、本音の話や、深いところの話にもなりまた有意義なのだ。

話の頃合いを見計らっては吉岡さんが学びのヒントを与える。

途中、何かのテーマで各人に発言を促されるが、私はこの時、「変性意識状態」(トランス)に入っていた。

身体的自己感覚が薄れ、意識のみが際立って明晰な感じだ。

この状態になったのはお酒によるリラックス効果もあるかもしれないが、お酒を飲んだからと云って普通になるものではない。私にとっても初めての体験である。

そして、以降、昼夜を問わず度々トランスするようになっていた。


発言が自分の番に回るが全く声が出せない。

心の中では話せるので、「吉岡さん、声が出せません。この状態で会話して下さい!」・・・とお願いしてみた。

すると即座に「分かった!」と返事。皆に、「勝っちゃんは今、深い瞑想状態に入っている」と告げ、更に、「じゃあ、こちらから聞くから返事だけして」と伝えられる。

心の中で「ハイ!」と答えた私に、「明日の御神事で重要な役目をしてもらうが、心を決めてやるか!?」・・・と聞いてくれ、「ハイ!」とだけ答える。

しかし、これは大変な決断をせまられる問いで、何も分からない私が、神事(かみごと)の世界にデビューする事なのだ。(既に参加はしているが・・・。)

しかも、「明日の御神事」と云うのは、地元の神人(かみんちゅ)でさえ容易に足を踏み入れない、畏れ多き神の島、「大神島」での御神事なのだ。

そこは宮古島の全ての神々を統合し、天照大御神の降臨伝説が残る聖地中の聖地だ。

何故か私は「大神島」に特別な思いがある。とにかく魅かれてやまない強烈な片想いの様な憧れがその島にある。

この旅の事前、敢えて吉岡さんに、「今回、大神島へは行きますか?」と尋ねた程、実は何処よりもそこへ行きたかったのだ。

恋焦がれるその島で間違いは許されない・・・!


常々吉岡さんや、その世界の先輩たちに、いくら精神世界の勉強を続けても肝心の意識覚醒、神意識の知覚が起こらない悩みを打ち明けていた。

吉岡さんにはかなり以前、「八重干瀬で開く」とか云われていたがそんなことも忘れていた。

意識覚醒なくして御神事になど携われないと思っている。


「ハイ!」とは答えたものの、不安で一杯の私を察し、吉岡さんが優しく続ける。

「もうあなたはさんざん修行して来た。もう何も学ばなくて良い。何も見えず、何も聞こえなくて良い。ただ楽に、ありのままの素直な自分でいてごらん。」・・・・・・涙があふれ、止まらない。


私は10代の頃から精神世界の探究をして来たが、何か一つの事をやり続けた訳ではない。常に全体を眺めて色々なものを試したり、聞きかじったり、色んな方々にお会いしたりしていただけで、ある種、趣味の様なものだったのである。

なので自分としては修行したと云う感覚は全く無かった。それをそう言ってもらえた事は、無駄にも思える過去の全てを肯定してもらえた事なのだ。

山の頂を目指すのに、地図を持って進むのか、感覚だけを頼りに進むのかの違いかも知れない。


最後に、「神に命を捧げます!」と宣言。ほどなく会はお開きとなる。


部屋に戻りウィスキーで高ぶる気持ちを鎮めてゆくと矢張り不安が心を支配して行く。


時は深夜、お疲れであろう事は承知の上で、階上の吉岡さんの部屋をノックしてしまう。

部屋に入ると姿勢を正した吉岡さんが書き物をしている。

終わるのを待つと、「これ、勝っちゃんに書いてたんだっ」と紙を手渡される。まるで私が尋ねるのを知っていたかのようだ。


そこには、「あなたを産み、苦しみ、育て上げた母の愛を忘れるな!」・・・「母神を信じなさい!」と云うメッセージが綴られていた。

命を捧げるとか云う特攻精神はやめなさい、母神を悲しませてはいけないよ、と云う諭しであった。・・・再び滂沱の涙である。

しかし尚、不安でたまらない自分をさらけ出す。

僕は吉岡さんの様に意識覚醒していないし、神の声も聞こえない。自分に出来るのだろうか?・・・吉岡さんは凄い!。私の様に何も力が無いならば命を捧げるくらいしか出来ないではないか!・・・と。

・・・あくまでもその人は優しい。

「勝っちゃん、俺が凄いんじゃないんだよ。俺は俺の役目として裏をやっているだけなんだ。勝っちゃんは勝っちゃんで、自分なりに表をやれば良いんだよ・・・。」

言葉の意味は後で解るが、ただただ伝わる優しさに感謝し部屋に戻る。

眠れぬまま夜を過ごした・・・。


※ 一連のこの手記は、私の体験を通した私の事でしかお伝えできませんが、実際には参加者全員が皆其々の体験をして居ります。私の視点と云う偏りがある事をお伝えしておきます。

2011年6月5日日曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 6


竜宮神祭はその後、長山港から「渡口の浜」。中国、台湾の神が祀られる「ヌーシウタキ」を経て、宿泊先のホテルの眼前の竜宮神に祈りを捧げ終了。

内容の濃い一日であった。

訳も分からぬまま幾つもの御神事に参加し、必死で祈っているのである。

訳は分からないが、胎道くぐりの儀式から尋常ではない意識が続いていて現実感が薄い。

祈りは回を増すごとに、神の声等は分からないまでも邪念が消え、無心で祈る様になっていた。


一流レストランで修業した、ホテルのオーナーシェフのディナー。

美味い! 味が切れる!!!


ディナーで少し現実感を取り戻したのもつかの間、伊良部島の最高神官との謁見。そして、ディープなディープな夜の勉強会へ突入だ。

夜の勉強会は美味しいお酒を頂きながら和やかに雑談をする。

個人レベルの話にも焦点を合わせ、其々の魂が解きほぐされてゆく。

今後、大きな御神事が控えているのでメンバーが高いレベルで一丸となる必要があるのだろう、吉岡さんが荒療治に近い厳しさでみんなを解放してゆく。


翌18日、本ツアーの標題ともなっている「八重干瀬祈り」である。

皆、朝から緊張している。



伊良部島から、フェリーで宮古島に移動。

フェリーを乗り替えいざ八重干瀬へ向かう。

八重干瀬上陸は一般的には観光が目的である。

船内では、島の方々が温かく場を盛り上げ、40分の船旅を飽きさせまいと楽しませてくれる。


宮古島の海人(うみんちゅ)達。


畏れ多き神の島、「大神島」を右手に北上する。


八重干瀬とは広大なサンゴ礁群であり一つの島を指すものではない。

この日上陸する島が見えてきた。



とても広い。

上陸後吉岡さんが見定めた依り代に急行。祈りが始まる。

私はここで初めて、「男神」と云う役で立たされる。

そう、昨日通達された役だ。

神の依り代として男が立つのである。

吉岡さんの真後ろに座り祈りが始まる。

吉岡さんの右に熟練の巫女、左に私の妻。・・・妻はこの旅でパイプの広い(通りの良い)巫女である事が分かったのだ。そして、私の両側に5人の巫女。その後ろに通称おばあ(沖縄では敬称である)と呼ばれる母的な巫女。(巫女は降ろす役はもちろんだが、男神を助ける役目もある)。更にその後ろにこの祈りのみに駆け付けた関東の神社の女性神主さんが立つ。盤石の態勢だ。



足場はごつごつとむき出しのサンゴ礁だ、両膝をついているのだが偶々その場所が斜めで、右膝にのみ重心が掛かりサンゴが食い込む。

痛みと、役目を全うしたい真剣さで頭が真っ白。・・・神様を感じるどころでは無かった。

終了後、「勝っちゃん、どうだった?」と聞かれたが何も答えられなかった。そして、「まあいいや、でもこれからも避雷針になってもらうから・・・」 あっ そうですか・・・。


妻が見つけた「宝貝」・・・女性、繁栄、生誕、富等の象徴だそうだ。


帰りは船内で、島酒や刺身がふるまわれ様々な余興で盛り上がる。

我々にとっては直会(なおらい)である。

ヤギの乳で割った泡盛

島魚の刺身

2011年6月4日土曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 5


ヤマトブー大岩から、牧山展望台を経て、「豊見氏親(トヨムウズヌシュー)」の墓碑へ。


1450年、伊良部島の首長であった豊見氏親は、海で暴れ多くの島民の命を奪っていた「フカ」を、自らの命を掛けて退治した英雄である。


墓碑の隣に豊見氏親の子孫が最近になって建てた拝所(うがんじょ)がある。

ここでも祈るのだが、そこでの祈りはこの旅で唯一の人格神への祈りである。(先発隊は宮古島でも行った)

祈りが始まってほどなく、吉岡さんの神言葉による祈りが止まり嗚咽に変わる。

鼻をすすりながらの祈りを終え、話を聞く。

「ヤマトの人たちが、これほど私たちの島の事を思ってくれるとは、とてもうれしいことです。この星に生まれた子供は全て私たち親たちの子供だからこそ、未来に命を繋ぐ為に手を、心を合わせてくれる皆さんの気持ちに心から感謝しています。あなたたちは、私の島の子供と同じです。島の家族の一員として、これからも一緒にこの島を守って下さい。」・・・と仰っていたのだと云う。

まさかそんな言葉を掛けてくれるとは思ってもみず、苦労が報われた思いで胸が詰まったのだ。

神も人もされて嬉しい事は同じである。

御神事で泣かされたのはこれが初めてだったそうだ。


余談だが、この祈りの前に「祭壇周辺のゴミを拾え」と促された一人のメンバーが居た。

その娘は勉強会等で吉岡さんに悪態をついたり(かわいくだが・・・)する娘であったが、「ハイ!」と立ち上がり、裸足の足の裏を真黒にして無心でゴミを拾い始めた。

すぐ後ろにいた私は手伝おうと思うのだが真摯なその姿に圧倒されて手が出せない。

美しい!・・・神に使われる姿の美しさに感動していた。

その姿は神そのものだ、神はありとあらゆる方法でその存在を見せて下さっている。神はたった一人の「自分」と云う存在を通して、自分以外の他の全てを作りだしているのだ。だから、自分が見ている世界は全て神であり、自分で自分が見る世界を作っているのなら自分が全ての創造主であり=神なのだ。

神が神を求めるのはおかしなことで、神は自分の外には居ない・・・。

以来、その娘の見え方も一変した。


途中、素敵な喫茶店で一服。


場所を、長山港へ移す。

海中の「竜宮底神(りゅうぐうすくしん)」に祈りを捧げる。



祈りの後、吉岡さんに呼ばれ、「勝っちゃん、お前今、白い玉を頂いたの分かったか?」と聞かれる。

「分かりませんでした」 「まあいいや、なんであんたなのかは分からないけど明日からの御神事で役を与えるから頑張って」 「は?はい!」とは答えたものの・・・エッ、なにそれ~!

なにそれ~である。

元々の素質に訓練も積み神のメッセージを聞けるメンバーや、吉岡さんの様に神語ペラペラなら良いですけど・・・。

大変な事になって来た・・・。

2011年6月3日金曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 4

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昼食をはさみ竜宮神祭は続く。

西の端のなべ底から、右回りで聖地を巡る。

土地祈りでも門から右回り(時計回り)で角に祈りを捧げてゆき土地を締めるが、これも同じ意味があるのかも知れない。

ところで御神事では全員白い服を着ている。日本の伝統的な神事でも正装は白だがこの小さな島で白い服の集団は異様に映るかも知れない。

我々は何の宗教でもないし吉岡さんも組織を作る事は無い。まして吉岡さんは個に埋没しやすいスピリチュアリズムが嫌いである。

この旅でもたまたま集まった(神はからいではあるが・・・)其々が、にわか仕立てのユニットを組み、この時だけ機能させた単なるチームである。誰が上でも下でも無くチームの一員として其々が其々の役目で働いただけである。吉岡さんもまたしかりである。

白い服は神前に於いて我を消した自分を表明するものであると共に、吉岡さんには敢えて白服の集団として目立つ行動を取る意味があった。

吉岡さんは排他的なこの島に何年も通い続け、廃れた御嶽(ウタキ・・・琉球信仰の祈り場)を再興したり、消えかかる島民の神心を復活させてきた。

そして、この白服の集団が帰ると、雑草が繁茂しゴミ捨て場と化した御嶽が綺麗になっている。島の神によそ者が土下座して祈っている。・・・と云う事で現在は島に完全に受け入れられているのだ。

現に、どこへ行っても吉岡さんと親しく談笑する島民が居るし、我々を訝しげによそ者を見る様な視線を全く感じない。

ここまでになるには大変なご苦労があったであろうが、今では、部外者等決して参加する事が出来ない、伝統的な「ユークイ」と云う御神事で吉岡さんは上座に座ることさえ許されている。

独りよがりに神事(かみごと)だなんだと云っても、人の心と繋がっていなければ何の意味もない。


話を元に戻して、竜宮神祭は北の端、スーフツミーへ。ここには「潮吹き岩」があり、「オキノカナメの尊」が鎮座する。



浜辺に閉じられた龍穴がある。

ここを囲んで祈る。一瞬フラッシュの様に白い龍が立ちのぼったのが見えた。・・・エッ?!


続いて、東の端、佐良浜港にある「ミナトミライ」へ。

陰陽和合の神だ。



 









続いて、「ヤマトブー大岩」。

石灰岩の結晶であるパワーストーン「カルサイト」からなる巨岩で高さは15メートルもある。

この岩を切り出して、国会議事堂の建築に使われたそうだ。

それだけ力のある石だからだが、力のあるものをその場から移動すると歪が出る。

移された場でも、移した場でも双方に影響があるのだ。

良いものだからと云って、良く働くとは限らない。


この巨岩そのものが御神体である。


2011年6月2日木曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 3


17日、いよいよ祈りの聖地巡りが始まる。

先ずは、伊良部島の観光名所でもある下地島の「通り池」、その奥の聖地「なべ底」へ向かう。

なべ底は伊良部島の最高の神々が集まる聖地だ。

通り池へ通じる門前で、立ち入ることの御挨拶の祈りをする。

門の両脇に、吉岡さんが、塩・水・酒と捧げてゆき、整列し祈る。

云うなれば私にとってのそれが初めてのチームでする御神事である。見よう見まねで吉岡さんに従い祈る。訳も分からずただ祈る。私の祈りはいつも只一つ、「ありがとうございます」である。



通り池を通過し、なべ底へ向かう。

なべ底は生まれ変わりの聖地とも云われ、そこで禊(みそぎ)をし純白の心となって御神事にあたるのだ。



沖縄の聖地の多くは、岩や木や場所そのものであり、自然神崇拝である。


中央にある穴が子宮の入り口でそこから母なる胎内・なべ底へ入る。・・・胎道くぐりの儀式だ。

この穴は、普通の体格の大人一人がやっと通れるほどの狭い穴である。

「小錦は生まれ変われないのか!?」などと、まだまだ普通の思考が働く。


胎内は直径が10メートル程の小さなもので、海水と真水が入り混じった浮力の低い水に浸かり禊をする。

我々が入水すると急に波が強くなり、否応なく洗い清められる。

暫し全身を預けた後、ここを出るのだが出口がまた厳しい。

ほぼ直角の岩肌を伝い自力のみで這い登るのだ。・・・他人は一切手を貸してはいけない。


この日は、吉岡さんが独自に敢行した「竜宮神祭」の一環として各地を回った。

琉球の龍脈を全て通す御神事は吉岡さんが過去にされた主要な御神事の一つである。

龍神とか龍脈とか云われてもピンとこない方も多いかと思うが、龍は広義では地球の自然現象一切を司る神であり、地球そのものが龍体である。その働きの違いで、金龍とか、黒龍等と称される。

・・・取りあえず疑問に感じても今は聞き流して下さい。私も最初は「なんのこっちゃ?」・・・でしたから。

胎道くぐりの儀式を終えてから、明らかに自分の何かが変わり、その後終始不思議な感覚に包まれっぱなしの状態になった。

この儀式でなべ底には入らず祈りを捧げる吉岡さんと、もう一人だけ外でお役目をした女性が神憑る。(かみがかる)

このツアーの参加者は、私と吉岡さん以外全て女性で、その全員が巫女役である。

巫女の自覚があり、それで働ける事を元々分かっていて参加した方も居るし、何も分からず参加した方も、御神事に於いては全て巫女役である。

神憑った女性は元々の巫女体質の方だ。

「黒龍が呼んでいる」との事で急遽場所を移動。悲しく見捨てられた黒龍様の聖地で祈りを捧げる。

ここで、「宮古番」と呼ばれる宮古の地(じ)の女性が入口の巫女となり黒龍様をお通しする。即座に憑り、悲しみの意識を一身に受け泣きじゃくる。その女性はプロではないがユタなのだ。

そんなのを間近で体験するのも初めての事だ。

ひたすら祈り、終了。

なんだろう、この感覚は・・・。