2011年6月3日金曜日

宮古島 祈りの旅 神と出会うまで 4

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昼食をはさみ竜宮神祭は続く。

西の端のなべ底から、右回りで聖地を巡る。

土地祈りでも門から右回り(時計回り)で角に祈りを捧げてゆき土地を締めるが、これも同じ意味があるのかも知れない。

ところで御神事では全員白い服を着ている。日本の伝統的な神事でも正装は白だがこの小さな島で白い服の集団は異様に映るかも知れない。

我々は何の宗教でもないし吉岡さんも組織を作る事は無い。まして吉岡さんは個に埋没しやすいスピリチュアリズムが嫌いである。

この旅でもたまたま集まった(神はからいではあるが・・・)其々が、にわか仕立てのユニットを組み、この時だけ機能させた単なるチームである。誰が上でも下でも無くチームの一員として其々が其々の役目で働いただけである。吉岡さんもまたしかりである。

白い服は神前に於いて我を消した自分を表明するものであると共に、吉岡さんには敢えて白服の集団として目立つ行動を取る意味があった。

吉岡さんは排他的なこの島に何年も通い続け、廃れた御嶽(ウタキ・・・琉球信仰の祈り場)を再興したり、消えかかる島民の神心を復活させてきた。

そして、この白服の集団が帰ると、雑草が繁茂しゴミ捨て場と化した御嶽が綺麗になっている。島の神によそ者が土下座して祈っている。・・・と云う事で現在は島に完全に受け入れられているのだ。

現に、どこへ行っても吉岡さんと親しく談笑する島民が居るし、我々を訝しげによそ者を見る様な視線を全く感じない。

ここまでになるには大変なご苦労があったであろうが、今では、部外者等決して参加する事が出来ない、伝統的な「ユークイ」と云う御神事で吉岡さんは上座に座ることさえ許されている。

独りよがりに神事(かみごと)だなんだと云っても、人の心と繋がっていなければ何の意味もない。


話を元に戻して、竜宮神祭は北の端、スーフツミーへ。ここには「潮吹き岩」があり、「オキノカナメの尊」が鎮座する。



浜辺に閉じられた龍穴がある。

ここを囲んで祈る。一瞬フラッシュの様に白い龍が立ちのぼったのが見えた。・・・エッ?!


続いて、東の端、佐良浜港にある「ミナトミライ」へ。

陰陽和合の神だ。



 









続いて、「ヤマトブー大岩」。

石灰岩の結晶であるパワーストーン「カルサイト」からなる巨岩で高さは15メートルもある。

この岩を切り出して、国会議事堂の建築に使われたそうだ。

それだけ力のある石だからだが、力のあるものをその場から移動すると歪が出る。

移された場でも、移した場でも双方に影響があるのだ。

良いものだからと云って、良く働くとは限らない。


この巨岩そのものが御神体である。


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